釣り関係の随筆や釣り技解説の本などは、数多くが出版されています。「釣りひとり」は昭和49年に二見書房から「釣り魚名著シリーズ」の一冊として初版が出、その後、版を重ねました(現在では絶版になっています)。東京湾のぼら釣りや青ぎすの脚立釣り、佐原水郷の釣りなど、いまでは消えてしまった釣りや釣場も多く登場します。
しかし、この本の中で、読み取ってほしいのは、聰さんの釣りに対する心です。釣りがスポーツと言われるようになった風潮を「競技会でないとファイトが湧かないというのは、いかにもみすぼらしい。」という言葉で表現するあたりに、聰さんの釣りに対する流儀が現れているような気がします。「釣りひとり」というタイトルに、孤独な釣りを愛した聰さんのすべてがこめられているのではないでしょうか。
山村 聰さんについて
山村 聰(やまむら そう)1910年生まれ。2000年5月、急性心筋梗塞のため死去。90歳でした。
東京帝国大学文学部卒業後、研究劇団「太陽座」に入団。戦前の舞台活動を経て、1946年「命ある限り」で映画初出演。聰さんについてはご存じの方がほとんどだと思いますが「東京物語」「山の音」「トラ・トラ・トラ!」などの多数の映画出演作品の他に「蟹工船」「黒い潮」「沙羅の花の峠」などの監督作品もあります。テレビでは「ただいま十一人」「あゝ忠臣蔵」「華麗なる一族」「必殺仕掛人」などその他多数。トヨタ「クラウン」のCMを記憶している方も多いのではないでしょうか。
釣りに対する情熱は「釣りひとり」を読んでもわかるとおり相当なもので、へらぶな釣りにはとくに熱心でした。自宅に竹竿を製作するためのスペースを作り、孤舟(旭匠)に弟子入りして自らも孤舟調の「やまむら」銘の高いレベルの竿を製作していました。
聰さんが尺5寸6分を上げた相模湖のポイントには今でも「聰さんワンド」という名前が残っています。へらぶな釣りのイメージアップへの貢献は計り知れません。他の釣りと違い、へらぶな釣りのどこかに優雅さや侘(わ)び寂(さび)といった香りが残っているのも聰さんの影響が大きいと思います。
※web担当者からのご挨拶とお願いです
当ページでは、山村聰さんの奥様をはじめ、関係各方面のご協力を得て、名著「釣りひとり」を復刻再録することにいたしました。ひとりでも多くの釣り人の方に読んでいただきたいと思います。
なお、「釣りひとり」のページに関しては、ページへのリンクや出典明記の引用などはまったく問題ありません。しかし、山村聰さんが「俳優」であるという立場から、引用なしの文章の無断転用、写真のコピー使用などはご遠慮ください。よろしくご協力をお願いします。
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※2枚のモノクロ写真は、山村聰さんの手賀沼での釣り風景。タイトルバックの写真は、聰さんが愛した横利根川です
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