江戸前の釣り

ぼらの喰わせ釣り

 私が最も熱を上げたのは、ぼらの喰わせ釣りである。ぼらの釣り方は、各地いろいろあって、浮子釣りあり、帆立の流し釣りあり、岡からの梃子(てこ)釣りありで、それぞれに面白いが、やはり、江戸前の喰わせにまさるものはない。品川沖から浦安へかけて、海苔をとるための海苔粗朶(のりしび)が無数に立っている。船をその廻りに河岸付け、群雄してくるぼらを狙うのである。うしろ向きに艫に腰をおろし、丈一左右二本の竿は、肘当てのスプンを肘にあて、両膝の上に支え、竿先を、水面すれすれまで近づける。少しずつ竿を上下させていると、ぼらの魚信が、いかにも寝ぼけた感じで、何となくふわりと糸に伝わったり、流れてきたマッチの軸か何かがほのかに糸に触れる感じであったり、仄かな糸ふけになったり、そよりと重くなってみたりである。たまに、こつんと来ることもあるが、これはぼらの頭突きだ。とにかく、すぐ合わせないで、まず、静かに五、六寸竿をあげ、聴いてみる。そのとき、ずっしりと重たくなる気配があれば、初めて一気に抜き上げる。時をはずすと、ぼらに引き込まれ、縦横に暴れられるから、取り込みに骨が折れるだけでなく、折角足をとめていた魚群を散らしてしまうことになる。この辺りは水深が浅いので、道糸は竿の長さよりも遥かに短く、力一杯抜き上げたぼらは、頭上高く跳ね上がってしまう。そうなっては失敗で、ぼらがちょうど水を離れ、艫の高さを越えた頃、腕を伸ばしたまま掌の中で竿を滑らせ、同時に、竿をひょいと内側へ弾ませる。すると、ぼらが、足もとの舟底にころがりこんでくる。ぼらは、ぬるがひどいので、足もとには、あらかじめ油紙がしきつめてある。この竿の操作が、最も呼吸を要する手練の技術で、この妙味に深く魅かれるのであろう。秋も深まる頃には、釣船の数は驚くばかりであった。私の常宿は、深川の「大平」であったが、息子のイッちゃんこと礼一君は、ぼらの名手で、頭ごなしによく怒鳴られたものである。
「何をもたもたしてるんだ! そこだよ、そこ、そう、早く、竿をひいて!」
いくら叱咤されても焦るばかりで、なかなか思うようにはならない。果ては、艫に立ち上がって、魚と引っ張りっことなる。そうなると、他の船の眼につきやすく、魚群に行きあたらない船は、たちまちこちらの魚群を当てに近づいてくる。船頭は、何としても自分の客に釣らせたいのである。そのためにも、静かに、少しも早く、人目につかないうちに魚を取り込まなければならない。魚信の、いかにも面妖な複雑さと、取り込みの早業が、痺れるような、この釣りの醍醐味である。
 冬も深くなると、ぼらは脂がのり、眼玉までがべっとりと、盲のように白ぼけてくる。そうなると、喰わせよりも、錨釣りの方が能率は上がった。鉤を三本合わせた形の錨を糸の先端につけ、そのすぐ上に、真赤な、細いゴムなどを房付けにする。この疑似餌に寄りついたところを錨でひっかけるのだが、私はどうも、この手のギャング釣りを好まなかった。
 餌は、いとめを使ったが、いとめは秋の終わり、砂の中から抜け出て、生殖のために群游をはじめる。それをとくに「ばち」と呼んだが、ばちは、ぼらの大好物だそうで、「ばちが抜けた」と聞くと、釣師は勇んで出かけたものである。しばしば大釣にぶつかった。私はその頃、車の中にブリキの米櫃を積んでいたが、その三斗罐に三杯の余も釣ったことがある。あとで、親戚知人に配って歩くのがひと苦労であったが、貰った方も始末に困ったにちがいない。せいぜい塩焼きぐらいのもので、ぼらは上等の魚とはされていなかった。しかし、私に言わせると、ぼらの刺身、水焚きなどはまたとない珍味である。
 先日、約二十年ぶりで、「大平」に電話をかけてみた。おやじさんはすでに亡く、跡目をついだイッちゃんは、すでに四人の子持ちだという。昔ながらの、若々しい江戸弁は懐かしい限りであったが、「そうねえ、かれこれ、七、八年になるかな、ぼらが釣れなくなって」
 想像した通りの返事であった。海苔もとれない、ぼらも来ない。聞くも痛ましい海の汚染である。