へら竿のすべて

節抜き

 次は中抜き(節抜きともいう)である。錐を回しながら、竹の内部を、節(隔壁)もろとも必要な広さにくりぬくのだが、二本に仕舞う関係で、元は、三番の最も太い部分(通常、差込完了線のあたり)よりも二、三厘太い錐、三番は、穂先の最も太い部分よりも二厘太い錐、元上は、穂持よりも約二、三厘太い錐を使って抜くことになる。
 中抜きの錐は、ピアノ線で作ったものが多い。劔先の形は、通常、木の葉型、菱形のものが使われている。劔先を少しひねったものもある。
 この錐の刃は、回転しながら竹の内部をハツリ取っていく関係で、必ず鈍角である。普通の刃物のような鋭角では、繊維の列の中に深く切れこんで、たちまち竹を割ってしまう。
 錐を回すには、小型のボール盤を、天地逆にセットした動力を使う。昔は手揉みといって、錐を万力に固定しておき、竹を両の掌に挟み、錐を回す代りに竹を回して節を抜いたと聞いている。
 応用動作としては、今でも時に手揉みを必要とすることがあるが、これは、なかなかきびしい苦しい作業である。手動式のボール盤で錐を回した時代もあるが、今は、まず殆ど動力式である。
 錐の劔先を上に向けてチャックに装着し、足踏みスイッチを入れて錐を回し、左手で軽く錐のブレを防ぎながら、右手に持った竹を上から下へ、押さえつける恰好で抜いていく。
 竹の乾燥が不充分で、浚(さら)い粉が錐にからみついたり、劔先の形が不適当で、浚い粉がうまく逃げなかったり、回転のスピードが早すぎたり、矯めが悪く竹が歪んでいたり、錐のセンターが狂っていたりすると、竹は急激に熱をもってたちまちパンクしてしまう、特に、肉薄に抜く場合は、まず細目の錐で節だけ抜いておき、次に少し太めの錐で抜き、最後に目的の太さの錐で抜くという風に、細心の注意が必要だ。慣れてくると、順調に削れているかどうかは、音で判別がつく。音の色合いで、いろいろに手加減するというのがコツらしい。
 中抜きをした後は、中浚(なかざら)いの棒鑢で、内部をなめらかにさらっておく。
 中抜きの錐に限らず、およそ竿作りに必要な工具類、竹のための鋸、鑢・切出ナイフ・玉口に差し込みの穴をあける接合用の錐・中浚いの棒鑢・糸巻き機械・錐を回すボール盤などは困ったことに、どこをたずねても市販していない。勿論、需要が少ないからだが、結局、注文して作らせるか、自作するしかない。注文してみても、職人の、技術の低下、竹というものの特性に対する無理解から、優良な工具がおいそれと出来る筈がなく、反復ダメを出して、いわば、竿師が根気よく指導した上で、ようやく目的に適った工具が出来上がるということになる。鑢などは、鑢職人に頼む他ないが、材質の選び方、目の立て方に独特の苦心があり、竹などは、鉄に比べ遥かに軟かいのだから、当然鉄用の鑢でよい筈だというような、甘い考えでは、到底よい工具は得られない。竹というものは、なかなかどうして、したたかな曲者であることが、この辺からもよく判って面白いと思う。
 中抜きの錐、特に接合用の玉口をあける錐などは、自製することが多い。火で赤め、鉄敷(かなしき)の上で叩き、平らに打ち拡げられた尖端を、グラインダーにかけて形を整え、磁石(オイルストン)で刃をつけるという段取だが、これは、鉄工関係の人には容易に想像のつく仕事であって、そう難しい筈もないのだが、劔先の形、刃のつけ方、焼入れなどの、ちょっとした加減が、実用上の優劣に決定的にひびくところは、やはり困難といえる。
 特に、一分五厘以下の細い錐になると、約三分の一厘ぐらいの差で順次、錐の本数をそろえなければならないから、最後の仕上げの分(ぶ)測りが大変だ。勿論、馬鹿と鋏はなんとやらの譬えの通り、工具よりも技術のほうが重大にはちがいないが、すぐれた技術の人ほど、より良き工具を求めて苦心するのは当然といえよう。思えば、竿作りに必要な工具・設備・材料のすべてを、洩れなく一式揃えるということもなかなか骨の折れることで、金銭の面だけではなく、相当の苦心と時間がかかり、竿を作ろうにも、素人には簡単に手が出ない一つの原因にもなっている。中抜きが終った竹は、それぞれの下部の穴へ短い木栓をつめる。ボンドなどの接着剤をつけて差し込み、不要の部分を切り落としたあとは、平鑢ととサンドペーパーで綺麗に仕上げておく。

化粧の下拵え

 次は、糸を巻いたり、漆を塗ったりするための目安の線を、竹の表皮に鉛筆でつけるのだが、あとあとの作業中に線が消えないためには2Hぐらいの鉛筆が適当だ。
 この作業を、関東では、毛引きと称し毛引きの板を自製して線を引く。ひと口にいえば、板に沢山の穴を開け、目的の寸法に合った穴に鉛筆を差し込み、板の裏側に芯先を少し出し、竹の周囲に沿って板を一回転させると線が引ける、という仕組みだ。
 紀州では、デザインなどと呼び、段巻用の目安板を、竹で作っている。六寸ぐらいの竹の板をつくり、上部に窓をくりぬき、窓の両側の内外に線を引けば、細い輪の二段巻き、竹幅の両側に線を引けば太巻き一段、節の上、玉口あたりの長巻きは、目盛で見当をつけて適当に引くという寸法だ。最低、五、六種のサイズを用意することになる。
 これは勿論、どんな方法によろうとも一向に差支えはないのであって、たとえば、竹を糸巻きの機械にかけて回し、鉛筆の手を固定したままで引くとか、毛引きの細長い箱をつくり、鉛筆の芯を内側にのぞかせ、箱の中で竹を回すとか、いろいろあり得る。
 この頃は猫も杓子も段巻き仕上げであるが、段巻きでなければならぬということもない。
 竹が良く、生地合わせが正しく、火入れが完全ならば、化粧などはどうでもよろしい、といっては極端かもしれぬが、竿の調子が化粧によって左右されることはまずないのであって、その意味では、化粧は極めて自由であってよい。とはいうものの、まず目にふれるのは外観であるから、美しいに越したことはない。yただし、美しさにもいろいろある。平安の幽艶もあれば、元禄の華麗もある。羽田旭匠師の創始による段巻きは、鎌倉の剛毅であろう。段巻きが一世を風靡したについては、旭匠師の先見の明を讚える人も多いが、私はむしろ、へら竿というものが釣師にとっての魂であり、刀であり、へら鮒釣りというものが、求道的な修験の道であるとする、旭匠師の哲学を尊敬したいと思う。
 どのような化粧も自由であり、いろいろと変わった化粧も試みる者も少なくはないが、段巻きにまさるデザインは、目下のところ全く見当らない。しかし、化粧には半面、欠点かくしの要素があり、材質や生地合わせに不備のある竿は、段巻きによって、表面を一応美化することも出来る理屈で、近頃ではむしろ、美しい竹の生地をそのまま丸出しにした、口巻だけのへら竿が再び流行のきざしを見せはじめている。


 次は、節おろし。段巻きの場合、節の上を糸でまき、漆で固めることになるが、その下拵えとして、節をおろす。竹を回しながら、節を中心に節の上下を、目安の線からはみ出さない範囲で、平鑢を用いて丹念に削り、凹凸を出来るだけならし、サンドペーパーで仕上げる。芽の窪みの中も掃除しておく。
 口巻き仕上げの場合は、節をおろさない。節目の尖端の、手に触れると痛い部分だけを小刀できれいに削り、芽の中は形よく美しく掃除しておく。
 昔よく流行した、俗に磨きと称する仕上げにもっていく場合は、節をおろしたあと、急刃の切出しナイフ、サンドペーパーを用いて、竹の表皮をうすく剥ぎとり、美しく磨き上げておく。表皮を剥ぐのに、鋏をひらき、その両刃の谷に竹をあてがって引くという方法も行われる。
 漆というものは、極めて浸透力をもった接着剤ともいえるが、その効果を十二分に期待するために、糸を巻く個所および、総塗りにしる個所は、すべて粗いサンドペーパーをかけ、竹の滑らかな表皮を粗面に変えておく。
 口巻、節巻き、握り、穂持など、丹念な粗面をつくっておかなかったために、漆が割れたり剥げたりする例は実に多い。