へら竿のすべて

竿の設計

 撰よりすぐった原材が、充分な管理に堪えて貯蔵できたとなると、次は、いよいよ現実に、一本ずつ、竿の各部にふさわしい竹を選びだし、それを組み合わせて、竿の原形をつくることになる。
 この作業を、「切組み」(きりくみ)とか、「生地合わせ」(きじあわせ)とか、「設計」などと称している。
 この生地合わせが、のちに述べる火入れ作業と並んで、最もその作者の個性、見識、技術など、作者のすべてを決定する重大な工程であって、極端にいえば、あとの作業をすべて他の者が仕上げたとしても、これは俺の作った竿であるとして、生地合わせをした人が作者銘を打っても、いささかの不条理はないといわれている。
 竿の運命は、まずここで大きく決定されるのであって、もしここに誤算があれば、以下の作業がどんなに巧みでも、絶対に良い竿にはなり得ない、と断言してもよい。それほどの、決定的な意味をもつ仕事であることを、まず強調しておきたい。


 生地合わせの狙いは、前にも述べた通り、絶妙なバランスを創造することにあるのは勿論だが、そのバランスにも、硬・軟・先調子・胴調子など、いろいろの変化があるとすれば、やはり生地合わせの要領も、その目標とする変化に応じて細心の配慮を払わなければならない。
 五本継をつくるとすれば、元・元上・三番・穂持・穂先、都合五本の原竹の一本一本につき、材質・年齢・乾燥度・太さ・長さ・節のあり方など一切の条件を、目標とする調子が出るように、適切に、有機的に組み合わせなければならない。
 もっとも、これには大ざっぱな、最大公約数的な基準がないわけではない。
 それはちょうど、深い山の奥にも、一条の踏みあとが自然にできているように、先人の実践開拓の中から自然に生まれた、平均的な、基礎的な数字である。
 一種の虎ノ巻みたいなものだが、基準はあくまで基準であって、その寸法書を守るだけでは決して良い生地合わせとはいえない。というのは、竹はあまりにも個性がつよく、画一的な一般論ではとても律しきれないからだ。
 一本一本の竹の個性を深く見極めた上で個性と個性を組み合わせて調和融合させ、飛躍的に総体(アンサンブル)としての、さらに高い個性を創りだすことにこそ、生地合わせの意味があるからである。


 試みに、手もとにある五継丈五の竿をデータ図にしてみよう。
 ご承知のように竿を仕舞う場合には、元(Aa')の節を抜いた中へ三番(Cc')を、さらにその三番をくり抜いた中へ穂先(Ee')を納める。また、元上(Bb')の中へは穂持(Dd')を納め、都合二本仕舞が、へら竿の常識となっている。そのことと、玉口(a'・b'・c'・d')の中へ、コミ(Bb"・Cc"・Dd"・Ee")を差込んで接合する関係から、太さの基準が生まれてくる。太さについてチェックすべき個所は、玉口(a'・b'・c'・d')および、各部の最下端から約三寸上がった(a"・b"・c"・d"・e")であるが、厳密には、コミ(差込み)の長さによって、三寸ずつ上下するわけだが、私は一応、差込完了線と呼んでおく。
 差込完了線における外径の差は、竹のテーパーによって多少のつがいがあるが、a'b"(五〜三・五厘)、b'c"(四・五〜三厘)、c'd"(四〜二・五厘)、d'e"(三・五〜二厘弱)。許容の最低限まで差を少なくすることは、接合作業がそれだけ困難にはなるが、そのことによって最良の調子を得る場合が多い。
 玉口の外径の基準としては、穂持のd'は(十〜十四厘)、三番のc'は(二十四〜二十八厘)、差込完了線については、穂持のd"は(十七〜二十一厘)、三番のc"(二十四〜三十厘)、元a"の太さは、仕上り寸法の(1/300〜1/350強)の許容、つまり丈五の場合は(四分〜五分)、丈三の場合は(三・五分〜四・三分)ということだ。


 長さについても、仕上り寸法から各部を割りつけていくと、五継丈五の元(A)の長さは(三・四尺〜三・五五尺)が標準で、五継の場合は、丈四、丈三と、竿が短くなるにつれ約二寸ぐらい少く、丈六に伸びると、これも約二寸ぐらい長くなる。
 四継丈三の元(A)の長さは(三・五五尺〜三・六六尺)が標準で、これも仕上りが一尺伸び縮みするごとに大体二寸ぐらい増減するとみてよい。
 元上(B)は元(A)と同長、三番(C)は、元(A)より(一〜三寸)短く、穂持(D)は、三番(C)と同長もしくは(一〜三寸)短く、穂先(E)は穂持と同長、もしくは(一〜三寸)短くというような数字が自然に出てくる。
 コミ(差込み)の長さ(b"-B、c"-C、d"-D、e"-E)は、大雑把(おおざっぱ)にいって約三寸、継ぎの手もとの方はやや長く、先の方は短い。穂先のコミは、二寸でも良い場合がある。


 太さ、長さの他に、テーパー(俗にオチという)の問題がある。テーパーの度合によって竿の調子はがらりと変ってくる。
 原竹の個性をだいたい同じとすれば、オチの強い組合せほど先調子になり、オチの少ない組合せほど胴調子になるのは、見易い道理であろう。また、四継、三継は竿の各部が比較的長いため、オチは強くなり、五継、六継になると、オチは比較的少なくなるのも理窟だ。
 竹は通常、一節につき約(一〜一・五厘)ずつ、先へ向って細くなっているものが多く、この辺を標準と思えば、テーパーの強弱は自然に判断がつく。
 要するに、竿の各部の組み合わせは、原竹の個性、つまり、堅硬度・弾性・粘靭度・年齢・乾燥度・太さ・長さ・テーパーなどを、、生地合わせの標準に照して、あるいは多少基準を破って行えばよいということになる。
 ところで、巷間行われている生地合わせに、二つの方向があるように思う。ひとつは、丈五なら丈五の仕上り寸法をきっちりと、俳句の十七文字のようなきびしい規律と考え、その寸法の中で調子をだすというやり方。もうひとつは、調子本位に組んだ結果が、丈五二寸であろうが、丈四八寸であろうが一向におかまいなしというやり方。
 詮じつめれば、全くひとつのことなのだが、仕上がり寸法を厳守するためには、どうしても調子が二の次になりがちであるし、現実的には、長さに拘(こだわ)らず、自由に作った竿に名品が多くなるのは自然の勢いというものだ。


 さて、竿の各部のうち、まずどの部分から決めてかかるか。
 これには、まず元を決定し、その元に見合う元上(もとがみ)を決定し、順次穂先へ及ぶ方法と、まず穂持を決め、その穂持に合わせて三番をきめ順次元へ及び、最後に穂先をきめる方法と、まず三番をきめ、その三番に合わせて元、元上と下の方へ、穂持、穂先と上の方へきめていく方法と大体三つあるように思う。
 元は、一本の竿の、調子のカナメであるから、まず元から決める。
 穂持は、竿の生命線であるから、まず穂持から決める。
 三番は、バランスの移行に重大な部分だから、まず三番から決める。
 どの方法にも、考え方に深い根拠があるのであって、そのいずれが正しいということはできない。しかし、これも、詮じつめれば同じことになるのであって、結局、得難い三番用原竹に遭遇した場合はまずその三番に惚れこんで、その三番が最高に生き得るよう、他の各部にも素晴しい良材を探して組み合わせる。
 秀抜な穂持を発見した場合は、その喜びを中心として、その穂持が真価を発揮し得るよう、他の各部を組み立てていくということになるのではないか。
 穂先の重大性は、最近ますます認められてきている。どんなにすぐれた穂持も、設計的に誤った穂先を配した場合には、歪んだり折れたりもする。しかし、まず穂先からきめてかかる方法は殆ど行われていないらしい。調子の総仕上げとして、画竜点晴的に最後に決定するのが常識になっているようだが、面白いことに、素人が竿を作る場合には、まず穂先をつくり、それに合わせて穂持を、以下調子をみながら順次手許まで下っていく方法が一番無難とされている。
 ひとつ、忘れてはならないことは、原竹の年齢・産地・管理保存の年数など、竹の個性をできるだけ揃えた方がよいということ。
 元と元上には若竹を使い、三番には古竹を使って特殊な味わいを狙うような場合はともかくとして、一般的には、古竹は同種の古竹と、九州ものは九州ものと組み合わせるのがよいとされている。調子に乱れを起こさせないためだ。
 ところで、元と元上は節を揃えて選ぶ。これは、二本に仕舞ったときの美観の問題よりも、節の配列の正しさが、調子のリズムに落着きを与えるからである。
 通常、五継、六継は、四節ものといって、節が四つある形でえらぶ。大体竹というものは、左図のように地面に近いほど節が混んでいる。それが次第にあらくなり、中央部の二節あたりで間隔が一番長くなり、そこを過ぎると、梢へ近づくにつれて節間がつまっていく。その一番長い二節を中心にして四節(左図のイ)を使う。
 節の間隔は、大体(八〜九寸)がよいとされている。四継、三継になると、長さの関係からどうしても五節ものの方がよいということになるが、要するに、その辺が標準ということであろうか。
 組み合わせができたとなると、実際に使用する長さ(イ)よりも、上下二寸ぐらいずつ長めに(左図のロ)のように切り落す。この余裕の部分をタメシロといって、火入れ作業のときに必要な部分となる。
 それぞれの組み合わせには、紛れのないよう、心覚えの番号を打っておく。
 これで生地合わせは完了するのだが、確固たる見透しをもって組んだはずの竿が、のちの工程の中で、意外な弱点を現わし、英断をもって、三番なり穂持なりの一部を取り替えなくてはならない場合も起ったりする。追求すれば際限のない仕事だから、竹倉の竹に埋れて、あの束をほどき、この束をほどき、とことん納得がいくまで生地合わせをやるとしたら、まる一日かかって一本の組合わせができなかったとしても不思議ではない。
 竿作りとは、文字通り作家的な修業であることに改めて思い至るわけだが、どうです皆さん、ご自分の愛竿をとりだして、各部のデータを図に書いてみるのも楽しいものですよ。